ヌマンタの書斎

読書日記から始めたブログですが、今は雑記帳になっています。

大宇宙の魔女 C・L・ムーア

見つけた、やっと見つけたぞぅ。

まさか台所の横の食器入れの棚にしまい込んだとは思わなかった。私、こんな場所にしまった記憶がない。すると妹かおふくろだろう。多分、私が長期入院中の時だと思う。

20代の時の難病による入院生活は10か月に及んだ。ただし本当に危機的であったのは三か月くらいで、後は病棟のベッドの上で無聊を囲っていた。いや、本当に暇だった。

私は意地っ張りで、入院中は絶対にTVは見ないと決めていた。なんとなく堕落しそうで怖かったからで、その代わり新聞と本を熟読していた。毎朝病室まで配達される新聞はともかく、本は見舞に来る人からもらっていた。

でも足りない。いくら衰弱していても単行本なら数日で読み切ってしまう。寝たきりの時だが、何を思ったのか当時某大手出版社の編集部でバイトをしていた妹が「ペントハウス」なるH本を大量に持ち込んできたときは困った。

「だってお兄ちゃん、好きでしょ」だと。そりゃ人並みにスケベだが、医療機器が置かれた特別室でもある二人部屋に、数十冊のエロ本があるのだから看護婦さんたちからの視線が痛い。いや、ほとんど苦行に近い。ちなみにこの雑誌、確かに金髪碧眼のスタイル抜群の美女の裸の写真が売りではあるが、掲載されている記事は読みごたえのあるものが多く、全部熟読した。

今でもジャズ特集とか、美味し気なレストランの記事は一部切り抜きして保管している。でもスタイル完璧でも色気を感じない金髪美女のグラビアにはまるで感じなかった。いや体力が落ちていたので、まったくスケベレーダーが反応しないのです。これはこれで精神的にきつかった。まぁ体力が復活するにつれ機能回復、エネルギー充填70%くらいには戻ったけどね。

寝たきりから車椅子にレベルアップして自分の病室に戻った時の異様な風景には参った。数十冊のエロ本の脇に可愛らしいヌイグルミが十数体。これは会社のOLさんたちからの見舞品。なんとも言えない異空間でした。さすがに恥ずかしくなり、エロ本は見舞にきた大学のクラブの後輩にすべて片付けさせた。奴らニタニタ笑っていたのがムカつくが、自分では処理できないので致し方ない。

やがて夏が終わり、秋になると少しづつ病棟を歩けるようになった。最初は移動式の点滴台にすがりながら歩いたものだが、若いだけに回復は早い。医者には黙って階段の上り下りをやり、少しでも歩行距離を伸ばした。

長く入院していると看護婦さんたちの監視の目が緩む時間が分かるようになる。その時間を使って病院から徒歩10分程度にある古本屋に行き、そこのワゴンを漁り大量の文庫本を入手した。表題のムーアの作品はここで買い付けた。

一応SFの枠に入っているが、中身はマカロニウェスタンの宇宙版である。無頼者のノースウェスト・スミスが熱線銃を右手に、左手には怪しげな金星人の美女を抱えてエイリアンと一戦交わす。そんなイメージで間違いない。SFがパルプ紙の雑誌に掲載されてスペースオペラと呼ばれていた時代の典型的な作品の一つである。

日本で刊行されたのは1970年代だと思う。SFに未来を託した早川書房の意気込みを示す作品である。表紙絵及びイラストは松本零士であり、ムーアの幻想的な作品に合ったものだと私は高く評価している。

ところで買い込んだ古本が病室に溜まり始めたので、見舞に来た母や妹に本を持ち帰ってもらっていた。まさか台所の食器入れの棚に仕舞うとは予想外でしたよ。さてと、じっくり読み直しますかね。

 

キリング・ゲーム ジャック・カーリイ

悔しい、本当に悔しいぞ。

面白そうだと思って買ったのは、多分2年以上前だと思う。で、そのまま未読山脈の奥に紛れていたところを正月の大掃除で発掘して、ようやく読みだした。読みだして気が付いたのだが、どうやらシリーズものであるようだ。

後書をちらっと見てみたら、なんと9冊目であった。その瞬間、読むのを中断して、一作目から読みたくなった。でも我慢しきれずに最後まで読んでしまったぞ。二度負けした気分なのだが、不思議と不愉快ではない。

これは面白い。最近私の書斎である通勤電車はひたすらウツラウツラと惰眠を貪る場所と化しているが、この本は早く読みたくて眠い目をこすりながら読んでいた。読み終わって、すぐにでも最初から読み直したくなる気持ちを抑えるのに必死だった。

なにせ未読山脈は未だ聳え立っているのだから。まずは未読の本を少しでも早く片付けることだ。でも古本屋巡りを再開して、一冊目を探す楽しみが出来てしまった。分かっている、再び未読山脈が高さを増すことは。

あぁ悩ましい。

 

たじろぎの因数分解 川原泉

暗記は得意ではないが、暗記以外に思いつかなかった。

元々、中卒で働くつもりだった。だから好きなことしか勉強はしなかった。ところが幼少時に離別した父が突如現れて大学までの学費を出すと言われた。落ちこぼれの自覚があった私はかなり困惑した。

なにせ中学2年の夏までは、学年で下から何番目と指で数えられるほどの劣等生であったからだ。最下位でなかったのは読書好きだったので国語はある程度点が取れたし、歴史本が好きなので歴史成績は良かったからに過ぎない。

母子家庭で金がないから働くつもりだったので、別に高校や大学に憧れがなかった訳ではない。だから中二の冬から猛勉強を始めた。ただ勉強の仕方を知らなかった。だから暗記した。問題と答えを暗記すれば、試験である程度の結果は出せると教わったので愚直に暗記した。

不器用なので、暗記はノートで手書きで繰り返し書くことで覚えた。英文だって一日5回、一週間毎日書いていれば、馬鹿な私でも解答できる。ただし、意味は良く分かっていなかった気がする。

このドンくさい勉強を半年も続けると、さすがに結果が付いてくる。偏差値30台の落ちこぼれが気が付けば50台半ばに達していた。どうやら都立高校の普通科がみえてきた。

ただし最大の悩みが数学だった。ある程度暗記は通用するが応用が効かない。やはり理解が大切なのだと分かったが、理解には基礎からの積み重ねが必要だとも分かってきた。困った、中一の初めから勉強しなおす時間はさすがにない。だいたい、2A+4B-3A-2B= ??? なんだこれはと悩んでいた私である。問題と解答を丸暗記するにも限界がある。

その頃、私が数学に悩んでいるのを知ったクラスメイトからある塾を勧められた。一クラス数人のごく少人数対象の教室であり、通称寺子屋塾。私はここで大学院生の先生から懇切丁寧に教わった。そこで出くわしたのが最大の関門であった因数分解である。

塾の先生から手取り足取り、たすき掛けの解答算出法を教わり、霧が晴れたように関門の全体像が見えた上に、門を開くことが出来た。私にとって因数分解は、数学を楽しむことを知った最初の関門であった。

ところで表題の漫画はカーラ教授こと川原泉のデビュー作である。なんといってもタイトルが秀逸ではないか。典型的な文系人間である私は読む間に共感してしまった。私も何度因数分解の前でたじろいだことか。

川原泉よりも絵の上手い漫画家はあまたいるが、類似の漫画家は皆無だと思う。もし機会があったら是非どうぞ。男性にも読みやすいと思いますぜ。

 

人類が消えた世界 アラン・ワイズマン

銀河系の外縁部にある某星系の第三惑星に人類と自称する生物がいたようだ。

どうもかなり知能の低い生物であったらしく、既に絶滅している。彼らの文明はかなりの破壊型であり、どうやら核分裂を利用した兵器で自滅したようだ。しかも絶滅後にも関わらずいくつもの悪質なゴミを残している。

まず酷いのが核放射性物質だ。自分たちで処理する能力がない癖に膨大な残留放射能をまき散らす廃棄物を残している。また海には化石燃料を加工して製造した物質の残滓が、細かな粒子となって残っている。海洋生物の体内に残留しているようで、生物の食生活に紛れ込んでいたのではと推測できる。

それ以外にも多くの製造された物質の残留物が残っている。現在生息している生物の体内に、自然な進化ではありえない影響があるのは、どうも人類が遺伝子操作をした物質を垂れ流したせいではないかと疑われる。

環境との調和を考えない無軌道な生物なくせに、自らを知的生物だと認識していたようなので失笑を禁じ得ない。だが事態は深刻だ。元の環境に戻すには、後100万年ほどかかる。核残留物質の半減期を考えると、ようぞまあプルトニウムなんて製造する気になったものだ。これほど悪質な環境破壊型の生物は稀だ。

もし過去を変えることが許されるならば、彼ら人類がこの惑星に蔓延する前に滅ぼすべきだと思う。本来ならば、この惑星は多様な知的生物を生み出す苗床になれたはずなのに残念でならない。わが手で絶滅させることが出来たのならばと思わずにはいられない。

まぁ結果的に自らの愚かさで絶滅したのだから、ある意味良かったのかもしれない。

ギャラクシー歴585420年 銀河系辺境地域調査隊所属の調査員R2D5が記す。

 

小蘭回想録1 原作・日向夏 漫画・七緒一綺

柳の下の3匹目のドジョウ。

身も蓋もない言い様だとは思うが、単に流行におもねっただけの作品だ。本編である「薬屋のひとりごと」の外伝に過ぎないので、本編の愛読者以外は読む価値はないとは思う。

本来の主人公である猫猫(マオマオ)は警戒心が強いというか、他人に関心が乏しく、また関心を持たれるのも好きでない変人だ。そんな猫猫の懐に意図も容易に潜り込んだのが、小蘭である。

人畜無害を絵に描いたようなどこにでもいそうな少女である。誘拐されて後宮の女官として売られてきた猫猫とは違い、口減らしのために家族に売られて後宮入りしてきた。

率直に言って、特段才能が有るわけではない。後宮入りしたものの仕事は下働きであり、皇帝の目にとまって中級妃や下級妃に取れ上げられる可能性は皆無だ。ただし極度の女性恐怖症だった先帝ならば分からないが、ふくよかな女性を好む現皇帝の歓心を買うのは無理だ。

しかし、だからこそ猫猫の警戒心を潜り抜けた。猫猫だけではない。本編屈指の妖女である某上級妃にさえ気に入られている。ある意味、凄い才能だとも言える。

私の小学生時代のクラスメイトに一人、このようなタイプがいた。

小柄で笑顔が気持ちよく、争いごとは好まない。しかし、それ故に誰かに因縁をつけられても他の友人が必ず助けに入ってきた。本人は偉ぶることもなく、前向きで健気で素直。しかもルックスは可愛かった。

男色の気など皆無の私でさえ彼は可愛らしいと思っていた。ただ彼には彼なりの悩みがあることも何となく感じ取れていた。言葉に出すことはなかったが、彼はもっと男らしくありたいと願っていたと思う。これは男の子の本能だ。

しかし周囲がそれを許さなかった。ひねくれものの私からは信じ難いが、彼は周囲の望みを素直に受け止めていた。中学は別々だったので自然と関係は薄れたが、たまに三茶の街で逢うと、昔のように気持ちよく挨拶してくれた。

私の周囲であれほどまでに素直に変わらずに成長した男は皆無だ。彼はそのままに品が良く、勉強もそこそこ、運動もそれなりにこなし、有名私大に入り上場企業に就職したと聞く。驚くべきは悪い噂も皆無で、今も地元に残ったクラスメイトたちとの交流もあるらしい。

私には出来なかった生き方。卑屈な私は彼が鬱憤を抱えているのではと邪推していたが、それは私の妬みに過ぎなかった。彼は強くもなく、怖くもなかったが、人生を堂々と過ごしてきたようだ。有名でもなく、悪名もない穏やかな生き方、正直嫉妬するほどに憧れてしまう私です。

 

葬送のフリーレン 15巻

やはり不安が募る。

12月に発売された「葬送のフリーレン」第15巻だが、当分その先を読めそうもない。作者側の都合による休載だそうで、長期休載のうわさもある。

この手の休載は珍しくないが、休載が延々と続いてしまうこともよくある。私はこの業界に関してさして詳しい訳ではない。ただ仕事上の関りもあり、知っていても書けないことも多々ある。だからあくまで一般論として読んで欲しい。

かつて漫画業界は漫画家と出版社の関係だけで完結していた。しかしアニメ化や実写化により映画業界やTV局が関わるようになってから大きく変質した。アニメや映画のテロップなどで「●✖製作委員会」という名称を見たことがあると思う。

以下は私の独断と偏見に満ち溢れた悪意ある誹謗だと受け取って頂けるとありがたい。

この製作委員会という輩は、人気の出そうな漫画作品のアニメ化や映画化、各種商品の製造販売を調整する役割を果たしているが、その本質は寄生虫である。業界ゴロどもが寄せ集まって、このネタ(漫画)を如何に金になる木に育てて上前を撥ねることを目的としている。

私が腹が立つのは、肝心の漫画家や原作者、アニメーターなどが蔑ろにされていることだ。本来は出版社が守るべき存在は作者だと思うのだが、お勉強の良くお出来になる大卒の編集者なんて、業界ゴロの強者どもに言い様に転がされていることが多々ある。実際、世界的な大ヒット作品でも、作者たちに支払われる報酬は僅かだと言われている。

それにもかかわらず、この製作委員会の一部のメンバーは、もっと稼がせろ、人気の出る戦闘場面を増やせ、作品を長引かせろと口を出してくる場合があり、これが漫画家や原作者に対する強いストレスになっている。

「葬送のフリーレン」の原作者は言葉を大事にする人で、これが初連載となる漫画家も丁寧な作画を心掛ける職人気質の強い人だと聞いている。アニメ化にあたり人選も慎重に選び、使用する音楽にも拘っていたようだ。

でも経営的には、それは多大なコストのかかること。本当か嘘かは知らないが、製作委員会筋からの強い要請があったことが今回の長期休載の一因らしい。私なんぞ抗議の休載だと勘ぐっているほどだ。

確認しますが、私はなんの証拠ももってないし、直接の苦情を受けた訳でもない。あくまで悪意あふれる邪推に過ぎません。私の願いは、はやく連載を再開して欲しい、それだけです。

 

兵器と戦略 江畑謙介

真面目に考えるべきだと思う。

たとえ如何なる結論が出ようと、議論すること自体は有益なはずだ。ところが日本では戦争や軍隊、とりわけ核兵器には条件反射で拒否する平和原理教の信者がけっこういる。その中には、日本を貶めようと画する外国勢力が混じっているから、余計に厄介だ。

誰が何と言おうと人間は集団戦闘に長じていたからこそ、地上の覇者となった。戦争と文明は不可分の存在であり、平和とは戦争による問題解決が望ましくないと判断される場合の産物である。

誰だって平和が一番だと思い込む人は、現実に目を向けるべきだ。人間は集団生活を基本とする生き物であり、その最小単位が家族である。その家族の中の問題でさえ常に平和的な手段で解決される訳ではない。話し合いが暴力による押し付けに代わることは、さほど珍しくない。

いくらDVだと誹謗しようと、暴力で問題を解決しようとする、あるいは暴力でストレスを発散しようとする人間は絶えることがない。人間は社会を営む生き物であり、その最小単位である家族の間でさえ諍いを話し合いだけで解決できない。だからより力のある親族会議や長老による裁断などを発達させ、社会が成長すると司法制度を設けて、可能な限り平和的な紛争解決に努めてきた。

だが、異なる社会同士の争いは、話し合いのような平和的な解決策が上手くいかないことも多い。そうなると実力行使、すなわち戦争に至る。人類は未だ紛争解決の手段の一つとしての戦争を無くすことが出来ていないのが現実である。

振り返って20世紀の二つの世界大戦が終わり約80年が経った。ヴェトナム戦争やアフガン戦争、湾岸戦争など地域的な戦争は絶えることなく、今もウクライナやガザの地で銃火が飛び交っている。

その背後には時代を代表する覇権国が強い影響を与えており、代理戦争の側面があったことは否定できない。しかし第三次世界大戦は起きなかった。小さな戦争は絶えず発生したが、大きな戦争は起きなかった。

従来の見解では、核戦争の恐怖が互いを縛り、結果的に世界大戦は起きなかったとされる。

本当かな?

戦後では希少な存在であった軍事評論家の江畑謙介氏が、核兵器による平和について疑問を呈し、専門家として軍事力による平和の実現とその危うさについて論じたのが表題の書だ。

戦争にただ反対するような稚拙な論議ではない本格的な戦争による平和を論じた力作である。反対するしか能がない平和妄信市民にこそ読んで欲しいと思う。まぁ彼らは脳内お花畑で平和の舞に酔い痴れたいだけでしょうから、冷徹な現実なんて知りたくないのでしょうけど。

 

終焉

いささか不見識な見解だとは思うが、もう静かに余生を終えて欲しい。

終末、決算に追われながら合間を見てネット上をうろうろしていたら作家・田中芳樹が一年前に脳内出血で倒れ、現在リハビリ中であると事務所の方から公表されたらしい。

私としてはもう終わった小説家であり、再び読みたいとは考えていない。なにせ「アルスラーン戦記」といい「創竜伝」といい、最後がひど過ぎる。キツイ云い様だとは思うが、名作「銀英伝」の頃が最盛期で、あとは自らの才能をすり潰した作家だと思う。

実際、駄作と断じたい「アルスラーン戦記」にしたところで第一部は面白かった。あのままの勢いで書き続けていたのならば、第二の「銀英伝」クラスにはなったかもしれない。しかし、間が空きすぎた。

その間、田中芳樹はシナの作品の抄訳に奔走し、資料地獄にドはまりして気が付いたら愚痴を書くか(薬師寺涼子シリーズや創竜伝」、惰性で書くかの中途半端な作家と堕してしまった。元々はSF作家としてデビューし、エンターテイメント小説で名を残したはずだった。

しかし中途半端に歴史作家を目指したあたりから、彼の迷走は始まったと思う。彼の暴走を止められなかった出版社の担当にも一因はあると私は考えている。なにせ彼の作品は売れた、売れ過ぎた。近年は初期の残光だけで売っていた気がするが、それでも出版社が強きになれないほどに売れたが故に田中芳樹は増長した。

かつて熱烈に支持した読者としては、今回の病気療養は引退を決定させる良い機会にしか思えない。ここ数年の駄作の連発で日本の読者からは見放されつつある。しかしトランプの大統領選挙での再選を機に何故か欧米ではアニメ版銀英伝が話題になり知名度が抜群に広まったから皮肉なものだ。

不謹慎だと覚悟の上で書くが、もう引退して欲しい。たとえ銀英伝だけの作家だとしても十分読者を楽しませた実績だけは評価したいです。

 

西丸式山遊紀 西丸震哉

私の登山の原点は、虫取りであることは間違いない。

虫取りは楽しいが、レアな虫を捕まえるのは難しい。元々数が少ない上に棲息地が限られる。また保護色であることが多く、よくよく目を凝らさないと見つけるのは難しい。

私は目で探すだけでなく音や匂いを重視していた。カミキリムシは軋る音から探すことが出来るし、カブトムシやクワガタはクヌギの樹の樹液の匂いが濃い樹を探せば良かった。

しかし敵もさるもので、人間の物音を聞きつけると急に静かになり、あるいは木々の洞に隠れてしまう。だから音を消して探索する技量を上げることが重要なテクニックだった。ところがこれが難しい。

まず第一に人間が歩きやすい道の周辺は初めから虫は寄ってこない。藪が濃い草むらの奥にこそ連中は潜んでいる。ここを可能な限り静かに通り抜けるのが至難の業だ。ズルい私は昼間のうちに地面に近い枝などを折っておき、夕刻や夜半に地面を這うように近づいて捕まえていた。

ただ野生の藪は復活も早い。翌週には他の枝が伸びて空間を塞いでしまう。また道なき森の中なので、場所を覚えるだけでも大変だ。慣れない子供を連れていくと大概が迷う。おまけに五月蠅いので、虫が逃げてしまう。

また藪の下を潜り抜けると服は必ず汚れる。湿った土の汚れであり、親は他の洗濯物が余計に汚れるので嫌がる。このせいで私は子供の頃から公園の水飲み場で服を自分で洗ってから帰宅するようになった。当然、乾くまで上半身はマッ裸である。おかげで近所の子、特に女の子から奇異な目で見られるばかりか馬鹿にされることも多かった。

フン!

虫取りの難しさを知らぬ奴らに何が分かろうか。この頃から私は孤立を恐れない子供に育ったように思う。虫に感謝だね。

ところで表題の書の著者である西丸氏は、いわゆる登山家ではない。登山歴は豊富だが、どちらかといえば野山の探索者に近い。まだ地図も充分に整備されていない山々を歩き回っていた奇特な人だ。この方の山野の放浪記は下手な登山のガイドブックよりも有意義だ。

本来ならばもっと評価されるべきだと思うが、晩年に五島勉の「ノセタラダマスの大予言」に感化されたり、人間41歳寿命説を唱えてしまい、却って評価を落としてしまった人だ。晩年の著作はともかく若いころの著作はなかなかに楽しいので、とても残念に思います。

 

傭兵代理店 渡辺裕之

もしかしたら今年一番の収穫かもしれない。

表題の書を購入したのは多分一昨年のことだと思う。未読の本の山に埋もれていて、ようやく先日手に取るに至った。読みだして10分もしないうちに、これは掘出物だと感じた。

大藪春彦以来の権力に頼らない暴力も辞さずのヒーローを主役にもってくる日本人作家は数が少ない。なにしろ文壇における扱いが恐ろしいほどに差別的だ。日本の文壇は平和妄信主義者に専横されており、ベストセラー作家でも彼らの意に反する作品を書く作家は差別される。表現の自由が効いて呆れるが、自己の善意に酔い痴れる文学界の御大たちは意に介さない。

でも読者の多くは読書により高尚さを求めている訳でもなく、娯楽としての読書を楽しむことが多い。男女の出会いと別れを美化するのが悪いとは言わないし、戦争の悲惨さをめそめそと嘆くだけの小説を間違っているとは思わない。

でも現実には出来ない自己の武力により正義を求める小説だって楽しいでいいではないかと思う。そんな方にお勧めしたいのが渡辺裕之氏の傭兵シリーズだ。既に十数冊が刊行されているから、その人気ぶりがよく分かる。

でも文学賞には無縁だろうし、日本文藝家協会への加盟も認められまい。でも読者は支持する。大衆小説はこれでいい。高尚である必要はない。ストレスだらけの現代社会の息抜きとして娯楽小説もまた必要だ。
主人公もなかなかに魅力的であり、シリーズ化されるのも良く分かる。コツコツと探して楽しんでいこうと思います。